(續)夏目漱石
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저자
삼전초평
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발행사항
東京 : 甲鳥書林, 昭和18[1943]
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발행연도
1943
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작성언어
일본어
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KDC
830.099913.05
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자료형태
일반단행본
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발행국(도시)
일본
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서명/저자사항
(續)夏目漱石 / 森田草平 著.
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형태사항
842 p. : 도판 ; 22 cm.
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일반주기명
森田草平의 일본음은 'モリタサウヘイ'임
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소장기관
- 目次
- 第一章 私の知る前の漱石先生
- 一 先生の弱點 = 5
- 二 奧さん思ひの先生 = 17
- 三 金のない話 = 19
- 四 『文學論』の硏究と神經衰弱 = 31
- 五 再び奧さん思ひの先生 = 42
- 六 再び先生の弱點 = 56
- 第二章 先生の許に走るまで
- 一 私の大學時代 = 73
- 二 一葉女史の舊居 = 86
- 三 歸朝後の先生の生活 = 108
- 四 神經衰弱か精神異常か = 117
- 第三章 初めて漱石先生に近づく
- 一 手紙の往復 = 135
- 二 再び手紙の往復 = 155
- 三 異分子と『破戒』の評卒業論文 = 172
- 四 三重吉の處女作『千鳥』 = 181
- 第四章 先生とその門下生
- 一 私の歸省と『草枕』 = 199
- 二 門下生大いに集る = 214
- 三 草枕の餘波 = 220
- 四 覇王樹趣味と告白文學 = 225
- 五 私の告白とそれに對する先生の手紙 = 239
- 六 三重吉小宮その他の人人(上) = 255
- 七 三重吉小宮その他の人人(下) = 264
- 八 三重吉の『山彦』 = 280
- 九 『野分』の出るまで = 287
- 一0 先生のお宅の引越 = 298
- 第五章 朝日新聞入社を中心として
- 一 お能見物と就職の問題 = 309
- 二 先生の朝日新聞入社 = 316
- 三 私の天台宗中學就職 = 328
- 四 京阪から歸京後の消息 = 330
- 五 『入社の辭』と大學の犬 = 344
- 六 『虞美人草』の執筆時代 = 350
- 第六章 早稻田南町時代
- 一 二度目の轉宅と謠曲 = 369
- 二 『千代紙』と『草雲雀』 = 378
- 三 私どもの木曜會通ひ = 383
- 四 木曜會の話題(上) = 393
- 五 木曜會の話題(下) = 428
- (イ) デイアレクチツク·メンツド = 429
- (ロ) 物の兩面を見る 從つて物の兩端を敲く傾向 = 434
- (ハ) 座談の巧さと江戶ツ子 = 440
- (ニ) 自由に物を言はれる先生 = 444
- (ホ) 英吉利文學と露西亞文學 = 454
- (ヘ) 先生と近代人的素質 = 461
- (ト) 先生と大陸文學 = 474
- (チ) 先生と禪學 禪學的趣味 = 487
- (リ) 難行門と易行門 = 502
- (ヌ) 謠曲 能と芝居 壓味の辯 = 517
- (ル) 先生の好きな女の顔 = 532
- (ラ) 先生の印稅と金錢問題 = 539
- 第七章 『煤煙』事件の前後
- 一 私が『煤煙』を書くに到るまで = 549
- 二 煤煙事件の眞相 = 554
- 三 雪山の頂きに手紙を燒く = 578
- 四 先生と共に風呂へ入る = 582
- 五 空白の九箇月間 = 592
- 六 『三四郞』の女主人公 = 604
- 七 『煤煙』漸く成る それに對する先生の批評 = 616
- 八 その後の私と先生 = 639
- 九 私の『三四郞』評と先生の『それから』 = 648
- 一0 先生のドストエ-フスキ論 = 667
- 一一 謠曲『七騎落』と間喜兵衛 = 679
- 第八章 朝日文藝欄時代
- 一 朝日文藝欄の設立 = 695
- 二 朝日文藝欄の發展 = 698
- 三 『門』『あきらめ』『土』 = 708
- 四 雛子の誕生 立像の首 生田君の原稿 佐久間艇長と東鄕元帥 = 718
- 第九章 修善寺の大患とその以後
- 一 修善寺の大患と見舞客の雜沓 = 723
- 二 先生の歸京と入院 附 『思ひ出す事ども』 = 751
- 三 お目玉を식つた一例 = 763
- 四 博士辭退問題 = 772
- 五 私の『自敍傳』又お目玉 = 777
- 六 朝日文藝欄の廢止 = 786
- 七 私の『初戀』石川啄木の事ども = 793
- 第十章 『彼岸過まで 』と『行人』時代以後
- 一 『須永の話』と『行人』の意義 = 799
- 二 三度目の神經衰弱 = 810
- 三 古洋服とキツドの靴 = 824
- 四 『心』と『道草』 = 827
- 第十一章 臨終
- 一 臨終の當日死面 = 835
- 二 葬儀の當日 = 838